Webエンジニアの吐き溜め

WebEngineerの吐き溜め

元Web系エンジニアが派遣業界にて奮闘するブログ

僕の儚い人生

どうも管理人ことNANAです。
需要ないかもしれませんが、Webエンジニアと名乗っている以上はこれ書かないと説得力ないと思うので、僕の経歴を書いていこうと思います。

Let's Go

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高校時代編

僕は高校時代は普通のどこにでもいる一般人でした。
ただ、当時の夢は「教師」になること。ということ以外。
教育大学に入るぞ!!!と勉強を頑張っていました。
でも現実は悲しいですね...数学の授業についていくことができず、教師になるという夢を諦めてしまいました。
そんなか、次何なろっかなーと考えていた所に僕の親が1言

親父「プログラマになったら?」

衝撃的でした。
何が衝撃的って、僕の親父がその仕事をしているからです。
そして、親父はいつも帰りが12:00頃と遅く、遊んでくれなかったので反面教師にと考えていたからです。

まぁ考えてみるわ

と言ったものの正直どうでも良かったのが現実です。
当時IT業界というのはまだ主流ではなく、右肩に上がり始めた時でした。
そんな良く分からん業界で働いて楽しいんかな?と思っていた矢先、親からの追い打ちが来ました。

親父「今業界が活発だから転職も引く手数多だから困らんよ?」

まじか!!

親父「大学なんか行かんでも俺が卒業した専門でええんちゃう?」

え?

親父「専門の2年間のコース行って早々に社会出た方が大学行っている奴なんかよりも稼げるぞ」

確かにな。。。
4年間大学へ行けば400万+αやけど2年間やったら半額か・・・
ということは、200万のアドバンテージが開く+2年先に社会に出るということは、年収少なく250万やと見積もっても・・・

450万+α!?!?
しかも大学の連中が入社してくるころには基本給も上がってるし・・・

と邪な気持ちで僕は専門学校に入学することを決めました。
そこからは話がトントン拍子で進んでいき、3年生の5月には入学が決まって遊びほうけていました。

専門学校編

晴れて専門学校のプログラミング専攻の2年コースに入学した僕はIT業界に夢はせていました。
今思うと、学校というのは偉大でした。
アルゴリズムの考え方、論理的思考力というのを磨くことができ、簡単なコーディングならできるように!とは僕の場合なりませんでしたが、非常に良かったと実感しています。
就活自体は、1年生の後期から始まるのですが、まだスーツに着られている感が拭えませんね~
でもなんだかんだ僕は2年生の5月に入社が決まり、パチンコスロットをして遊んでいました。

新卒入社編

5月に決まった会社は非常に小さな社内SEの業務でした。
従業員数は10人もいなかった!!
そこで基幹システムの改修をメインとするIT何でも屋さんとして勤務してました。
しかし1年経った時、ここで悪魔の囁きを聞くことになります。
なんとグループ会社の社長直々に

社長「俺んところに来ないか?」

アッフォウゥッ!!!ってワンナイトカーニバルかっっ!!
まぁ冗談はそこまでにして、ヘッドハンティングを受けたのです。
本当にうれしかったのを覚えています。

それはIT屋さんとしてです?

社長「なわけないだろ。営業だよ」

んなバカな・・・冗談ですよね・・・?

社長「・・・」

社長「給料は今の所より+3万出してやる」

社長「お前はIT屋さんというより営業に向いている」

ありがとうございます。検討します

正直、気が重かったです。
もし、僕がそれを受けて期待に応えられなかったら?とか色々な思いがせめぎあっていました。
実は営業に誘ってきたのは、この社長だけじゃなかったのです。

なんと親会社の重役2名から別々にお誘いを受けたのです。
人生の中でモテ期って2回あるっていうけど、俺ここで使った?と言わんばかりです。
ありがたいですねーーーー!!!
でもそこじゃない(´;ω;`)

最終的に、調子に乗った僕は営業やれんじゃね?と思い転職することにしました。
それ以外にも、結局PGとしてのスキルを伸ばしたくても社内SEである以上本社からの依頼が来ないと、動けないのが現状であり仕事が殆どなく社内ニートと化していたのも大きな要因としてあります。

それにしても、結局3人のどこに行ったかって?



全く別の所だよ。



僕はビビりなのです。
正直21歳の自分では、期待に応えられなかったらどうしようという不安が大きくお断りしました。

営業編

晴れて有給消化の後、入社したのが車屋さんです。
元々車が好きな僕にはうってつけだ!!と思い入社しました。

これが1番の過ちでした。
後に悪夢を見ます。

入社した僕は、毎日車に囲まれて幸せでした。
そして、半年が経ちそろそろ営業の場に立ちたい!と願う一方で機会はやってきませんでした。
店長に相談すると、おうやれや!と言って頂けるのですが、先輩が一向に機会をくれませんでした。
営業雑用として、使われているうちに毎日行きたくない。。。が始まりました。
精神病になってしまい、休職からの退職という選択を取りました。

同じ過ちを犯してほしくなので、僕のような症状のある人!
経緯を別記事にまとめたので、見てください!!
new-webengineer.hateblo.jp


ニート

精神病で退職をし、転職活動はせず養生に努めていました。
その間ずっと失業保険で賄うのと同時にUberEatsを始めることにしました。
時間に囚われることがなく、いやな上司もいない、好きな時間にすきなだけ働いて、運動になる。
これは神か?
と、UberEatsをやりながら半年間養生しましたとさ。。。

僕の人生設計として、この先どうしようかというのを考えた結果、とりあえず営業としてITの人材派遣やってみっか!と軽い気持ちで探すことに。
勿論、またITに戻ってゴリゴリいろんな現場やろう!と考え無かったわけではありません。

しかし、営業としては僕はまだ青くどこに行ってもエンジニアとしてなら雇うよ?との回答ばかりでした。
正直先は暗く、悩んでいました。
ここで僕は閃きます。


逆にエンジニアとして入社後、営業に移ればええんでない???


善は急げと言わんばかりにジョブチェンジ制度のある会社に転職しました。
このジョブチェンジというのが、エンジニアから営業へと移れるよ!!というのを大題的に掲げている会社でした。
お話をしてからは縁もあり、トントン拍子で話が進み簡単に入社することに成功。
勿論人材派遣に携わりたかったので派遣業のエンジニアとして。

派遣会社編

半年ほどニートを堪能し、派遣業者として業務を遂行することにしました。
そして今に至るというわけなのです。


今後、進展があり次第ブラッシュアップしていきます。